ゲンロン戦記

東浩紀の文章には、いつも人をリフトアップする力が宿っている。

公開日

最終更新日:

リブロプラス 野上由人

時代の寵児として鮮烈に登場した東浩紀は、2010年、新たな知的空間「ゲンロン」を立ち上げ、戦端を開く。ゲンロンカフェ開業、仲間の離反、資金のショート、組織の腐敗、計画の頓挫など、予期せぬ失敗の連続だった。10年の遍歴をへて哲学者が到達した「生き延び」の論理。リブロ野上由人さんの書評です。

『ゲンロン戦記』 著:東浩紀

いまの日本に必要なのは啓蒙です。啓蒙は「ファクトを伝える」こととはまったく異なる作業です。
ひとはいくら情報を与えても、見たいものしか見ようとしません。
その前提のうえで、彼らの「見たいもの」そのものをどう変えるか。それが啓蒙なのです。
それは、知識の伝達というよりも欲望の変形です。日本の知識人はこの意味での啓蒙を忘れています。(中略)
そのためには、もっともっと無駄で親密で「危険」なコミュニケーションが必要です。
本書で「誤配」と呼んできたものは、つまりは啓蒙のことなのです。【本文より】

私が最初に東浩紀の文章を読んだのは、確か1997年に第三書館から刊行された評論集『エヴァンゲリオン快楽原則』だったと記憶している。
五十嵐太郎の編集によるもので、宮台真司、宮崎哲弥、香山リカらと名を並べていた。
その翌年、単著デビュー作『存在論的、郵便的』が出版され、サントリー学芸賞を受賞して論壇のど真ん中に躍り出る。

以来20年を超えて、日本言論界を代表する論客であり続けたことに異論はないだろう。
その間、大手メディアでの仕事だけでなく、ウェブマガジンやHatena Blogを通じた発信にも熱心で、個人事務所「波状言論」からは自主流通で本も出版している。当初から独自の媒体を持つことに積極的だった。
 

東浩紀

その東浩紀が、直近10年、自らの会社「コンテクチュアズ」(その後、「ゲンロン」と改称)を立ち上げ、その運営と経営に軸足を置いて活動してきたことは、既によく知られていて、かつ、その運営や経営に多くの悩みを抱えながらの10年であったことは、何度も深刻な事件に見舞われては苦悩と反省の弁を呟いてきた彼のTwitterをフォローしていれば、だいたいわかる。
しかし、その事件の詳細までは明らかでなかったし、また、彼の言論活動そのものは決して途絶えることもなかったので、まあ、裏方の事情まで知る必要はないと多くのフォロワーは見ていたはずだ。

さて、この本は、石戸諭を聞き手に、東浩紀がこの10年を振り返る内容でゲンロンを幾度も襲った危機の内実が明らかにされている。
ベンチャー企業の創業期の混乱を記録した一種のビジネス書であり、また創業者の失敗学の本でもある。
人を信じて裏切られ、夢を語って挫折する、その繰り返しの経緯が赤裸々に語られる。

自律・自由な言論活動の場を確保することに何より執着し、それを可能ならしめる条件を探ってここまで来た東浩紀の思想的実践が、決してスマートとはいえない経験を通じて鍛えられ、また洗練されていく様は、現代日本思想史あるいは日本メディア史の重要な資料となるだろう。

そして、その実践の意味や狙いを知ることにより、私たちはどうしたってこれに参画したくなる。

東浩紀の文章には、いつも人をリフトアップする力が宿っている。その才能に、あらためて感心させられる本でもある。

[野上由人さんそのほかの記事]
『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう』
古市憲寿の幸福な物語
レディー・ガガからGOTまで、世界を変えた“黄金の10年”を徹底討論!
『知性は死なない 平成の鬱をこえて』與那覇潤

著者プロフィール

東浩紀
1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。専門は哲学、表象文化論、情報社会論。著書に『存在論的、郵便的』(1998年、第21回サントリー学芸賞 思想・歴史部門)、『動物化するポストモダン』(2001年)、『クォンタム・ファミリーズ』(2009年、第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』(2011年)、『ゲンロン0 観光客の哲学』(2017年、第71回毎日出版文化賞 人文・社会部門)、『ゆるく考える』(2019年)、『テーマパーク化する地球』(2019年)、『哲学の誤配』(2020年)ほか多数。対談集に『新対話篇』(2020年)がある。

Information

書籍名

ゲンロン戦記

著者名

東浩紀

出版社

中公新書ラクレ

価格

860円(税別)

発売日

2020年12月

ISBNコード

9784121507099

関連記事