上野万太郎

”上野万太郎の「この人がいるからここに行く」” 「おっぱいカレー」の生みの親、さすらいのカレー職人 廣田孝士さん

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福岡を代表する人気ブロガー&ライターの上野万太郎さんの人気連載企画。万太郎さん自ら惚れ込んだ”あの場所のこの人”を紹介する『上野万太郎の「この人がいるからここに行く」』。今回は、カレーファンの間では有名な「おっぱいカレー」の生みの親「NADO」の廣田孝士さんをご紹介します。

“おっぱいカレー”の生みの親、廣田孝士さん

以前、福岡市中央区でお椀型に盛られたライスの上に大きめの梅干しがトッピングされたカレーを出している「カレーNADO」というお店があった。それは“おっぱいカレー”と呼ばれカレーファンの中では有名で、食べたことがない人でも「あ、知ってる!!梅干しがのってるカレーでしょ!」とSNSなどでの認知度も高いカレーだった。

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そのカレーを提供していたのは、海外旅行に魅せられ、インドに魅せられ、スパイスに魅せられた、廣田孝士さんだ。優しくて柔和でのんびりとマイペースな人。他人の悪口は言わないし、大声で怒ったりしない。なんなら全力疾走で走ることもないだろうと勝手に思ってしまうような、現代の荒々しいビジネス社会では珍しい人種かもしれない。まるで仏様のような空気感をまとっている人だ。

去年12月に廣田さんは自宅を改装した店舗で「NADO」として新たにカレー店を再スタートさせた。“おっぱいカレー”は封印されているのだが・・・。
そんな廣田さんの生活感や人生観が僕とはあまりにもかけ離れ過ぎていて昔からずっと興味があったので、「NADO」の新たなスタートに合わせて、あらためて取材させてもらうことにした。廣田さんが、どんな風に海外やインドやカレーに惹かれていったのか、その辺を探ってみたい。

美容師になったものの旅好きが高じて退社

廣田さんは糟屋郡須恵町出身。20歳で美容専門学校を卒業後、大手美容室の福岡市内の店舗に就職した。小さい頃からファッションや音楽やアートに興味があったこともあり、美容師は憧れの職業でもあったが、フランスとイギリスに旅行したのをきっかけに海外の文化や料理に一気に興味を持ってしまったという。

2年間働いた美容室を退職。理由は、「旅に出ます!!」ということだったらしい。その言葉通り、22歳で9ケ月間、ヨーロッパやモロッコを一人で旅してまわった。安い交通機関と宿を探しながら堅苦しいプランを立てない旅は廣田さんにとって最高の時間だった。

美容室へ再就職

海外での旅行生活に満足したのか、それともまだまだ足りなかったのかは別にして、とりあえず帰国した廣田さんは、美容師としての技術を生かして「美容室ガバガバヘイ」(「現在の「Hair Design Gram」)へ入社した。

美容師として働くかたわら廣田さんは、海外生活での体験により、カレーに加えスパイス料理に興味が湧いていた。日本ではカレーライスは日本食のように浸透しているが、スパイス料理となるとまだまだ馴染みが薄いジャンルだ。それに比べて世界を旅してまわるとスパイス料理にふれる機会はとんでもなく多いらしい。インドやイスラム系の人たちが世界中に住んでいるので、あらゆる国でスパイス料理のコミュニティーがあるという。海外でそんな影響を受けた廣田さんは次第に職場のスタッフ仲間にカレーを作ってふるまうようになっていった。

さらに当時中央区高砂にあったカレー専門店「スパイスロード」の高田健一郎さんと知り合い、カレー作りについて影響を受けたそうだ。高田さんは現在でも福岡におけるスパイスカレーのレジェンドと言われており、「人生に迷って生きていく術が分からない人がいたらカレー屋として生きていけるようお手伝いしたい」として人気カレーのレシピを公開していた人だ。廣田さんは高田さんと交友関係を深めるうちにさらにカレー作りにハマっていった。
そして、「カレー屋になります!」と宣言して「美容室ガバガバヘイ」を退職することになるのだ。

最初の店「カレーNADO」をOPEN

2011年4月、廣田さんは「マヌコーヒー春吉店」の3階を間借りして「カレーNADO」を開業した。「NADO」の意味は、漢字で書くと「等」となり、出来るだけ平等でありたいという気持ちを込めているそうだ。まさに誰にでもフラットに優しく接することができる廣田さんのイメージにぴったりの店名だ。

そして、ここで“おっぱいカレー”が生まれることになる。“おっぱいカレー”は梅干しの酸味を生かした味変や、見た目のオリジナリティーもあり話題となった。店での営業はもちろんだったが、その時期は特に“おっぱいカレー”をひっさげて、音楽イベントなどへの出店を精力的に実施していた。

海外の文化や料理になど幅広い分野で好奇心が強かった廣田さん、「ファッションでは、モード系から古着まで、音楽ではジャズ、ロック、ビートルズ、フォークから昭和歌謡まで、またDJ友達などから勧められるコアなものまで、映画は、ジム・ジャームッシュやジャン=リュック・ゴダールなどが好きでしたね。さらに食事好き、料理好き、お酒も好き、友達と集まって食べたり飲んだりしながら趣味の話で盛り上がるたまり場が好きでしたからNADOもそんな雰囲気の店でした」という。

そんな感じで、イベント出店してのカレー販売が多く、店での営業は少なめだったそうだが、最初の「カレーNADO」は2年間営業して閉店することになった。

閉店後、郵便局で働きだした廣田さん

とりあえず、お金を貯めて次の出方を考えるためか、さらに海外旅行の資金を貯めるためか、「マヌコーヒー春吉店」3階での営業を辞めた廣田さんは、郵便局で働きだした。その間もカレー販売目的のイベント出店や、海外旅行などは繰り返していたそうだ。

ちなみに、廣田さんが現在までに行ったことがある外国を聞いてみた。
「イギリス、フランス、イタリア、スペイン、ポルトガル、モロッコ、オランダ、ドイツ、オーストリア、チェコ、スロバキア、トルコ、ブルガリア、カンボジア、マレーシア、タイ、スリランカ、インド、ネパール、ラオス、ベトナム、韓国、中国、ブラジル、カナダ、アメリカ、メキシコ、キューバ、グアテマラ・・・。たぶんそれだけだと思います」とのこと。
それを聞いた僕は、「海外旅行の添乗員さん並みだ」と思ってしまった。

高田さんの「スパイスロード」跡で2度目の開業

その頃、「スパイスロード」の高田さんから「せっかく美味しいカレーを作れるのにもったいない。お客さんも待っているから、うちの店ですこし営業してみない?」という話があったそうだ。2014年、「スパイスロード」の店休日に「カレーNADO」の間借り営業を再開した。

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その後、2014年10月「スパイスロード」高田さんの病気療養に伴い、正式に店を譲り受け、2店舗目の「カレーNADO」が中央区高砂でスタートすることになった。以前の“おっぱいカレー”は、“乳・おっぱいカレー”として再登場した。ちなみに“乳”とは、“new”のことをかけているらしい。形がおっぱいに似ているからだけでなく、前述のように梅干しの酸味はカレーを構成する調味料としても考えられている。加えて、乳がん撲滅やピンクリボン活動の応援という意図もあった。さらにはインド料理の食べ方である「手食」をしたら100円引きというサービスも実施しており、インド料理の文化を身近なものにしたいという気持ちもあったという。

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高砂で約8年間営業した頃、もう少し違うスタイルでの営業をしたいと思うようになり、2022年5月、再び「カレーNADO」を閉店することにする。改装した自宅での営業を目的とした移転のためである。

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高砂での最終営業日には僕もカレーを食べに行ったのだが、営業終了後に店内で数人で思い出話で盛り上がっていたら、店の外で「ガタン!!」という大きな音がした。「何?何?」とみんなで外に出てみると、外壁にかけていた「カレーNADO」の看板が道路に落ちていたのだ。さらにはその下にあった外壁から高田さん時代の「スパイスロード」の看板文字が現れた時は皆が「え~~~!!何??このタイミングは!?」とびっくりした。神がかり的な出来事に一同背中がず~~~んとしたのを覚えている。

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高砂「カレーNADO」営業最終日に壁から落ちた看板

まもなく自宅を改装した新店舗の工事はほぼ終わり、保健所の許可も順調におりた。廣田さんも「6月か7月には営業再開できると思います」と言っていたが、秋になっても冬になっても営業する気配がない。
本人に聞いても「なんとなくまだかな~と思ってて、気持ちが乗るタイミングで始めようと思います」とのことだった。

普通の人なら「なんで??」と思うとこだ。経済的にも「そんなに働かなくて大丈夫なん??」というのが正解となるところだろうが、彼を知る人は口を揃えて、「あ~~、廣田さんらしいね」とニコニコと話していたのが、まさに廣田さんの人柄を表していた。

客や友人の思いをよそに新店舗で開業したのはそれから1年半後だった。

宇美町で本格的な開業

2023年12月、ついに糟屋郡宇美町の自宅だった一軒家を改装して3番目となる新店舗が開業した。

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1年半もそのままにしていたのに、逆に何の理由でオープンしたのかが気になるものである。廣田さんに聞いてみた。すると「2年連続で無職で年越しとなると、家族の目も気になるので年内には始めなきゃいかんかなぁ~とうっすら思ってはいたんですよ。すると12月10日が誕生日の妻から『誕生日プレゼントは何も要らんけん、お願いやけんお店を開けて!!』と言われたので、妻の誕生日に店を再開しました・・・」と廣田さんの奔放さはさすがである。

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ちなみに、以前の屋号は「カレ-NADO」だったが、宇美町での開業からは「NADO」に変更した。その理由を聞いてみると、「カレーにこだわらずに何でも出せるようにするためですかね。中華料理でも東南アジア料理でも。とりあえずスパイスにはこだわろうと思いますが。以前、近くの宇美八幡宮の放生会の時には自宅前でたこ焼き屋を出したこともあるんですよ。これがけっこう売れたんですよね。そんなものでも良いかな~と思ってたりもします。」と良い意味で相変わらず廣田さんらしいゆるい回答。

さらに「カレーライスに限らず、スパイス料理もいろいろやりたいんですが、一人でやっているのでオペレーション的には無理そうなんで、結局のところカレーを出すのが精いっぱいですけどね」と、廣田流の返事が続く。

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カレー作りについてのこだわり

今回の「NADO」でもそうだが、廣田さんが作るカレーは、南インド料理中心ではあるが、特に南インドなど、地域やジャンルにはこだわってはいないそうだ。

「国産の野菜を友達の八百屋さんから仕入れる場合が多いので、その野菜に合わせて調理法を考えている場合が多いですね」とのこと。しかし、鶏肉は佐賀県の「ありたどり」をずっと使用しているそうだ。「カレー作りについてのこだわりは昔からほとんどアピールしていないんですが、意外にもフワっとはこだわっているんですよ(笑)」とのこと。

そして、「カレーNADO」の看板メニューだった“おっぱいカレー”はメニューから無くしたという。
「梅干しを残すお客さんもそこそこいたので、以前からもったいないなぁと思ってて、今回から辞めることにしました。いわゆる“卒乳”ですね」と廣田さん。

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廣田さんにとってのインドとは

海外旅行好きな廣田さんだが、「そもそも何故インドに興味をもったのですか?」と聞いてみた。
「特にインドだけが、ということではないんですけど、インド料理が好きなので食べに行っている感覚はありますね。それに何回も行っているのですっかりいろんなことに慣れてしまって単純に楽な場所だから好きというのもあります。」
さらには「現地で料理を食べてスパイスのことや調理法について習うことがあるし、インドでの経験を重ねることは、カレー店営業に直接的に役立ちますしね。日本からは遠いけどカレー屋の立場で言えば、インプットとアウトプットの効果が分かりやすいので、インドに行くことは仕事上の投資でもあります」と。

「なくなんとなくインドが好きだから」みたいな廣田流の答えが返ってくるかと思いきや、意外にも理に適った回答が聞けて逆にびっくりである。このふんわかとした廣田さんからたまに言葉の力を感じる端的なセリフが出たりするから、なおさら掴みどころがなく興味が湧いて惹かれていく友達や客も多いのかもしれない。

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将来の夢は楽になること

最後に「宇美町で再開業して数か月、どんな感じですか?」と聞いてみた。
「とにかくいろいろと楽になりましたね」と即答。
「楽とは具体的にどういう点が?」
「自宅兼店舗なので通勤時間が無くて楽になった。家賃が安くて楽になった。スタッフを雇ってなく自分だけで切り盛りしているから金銭的にも精神的にも時間的にも楽になった、という感じですね。そもそも自分の夢は、楽になることなんでしょうね。」という。

「コロナ禍においてミニマムな生活をしてみたから感じたことかもしれませんが、忙しく働いてお金を儲けることが幸せなのか?と考えた時に、自分は楽になることのほうが幸せになれるんだと改めて感じたんですよね。3店舗にして一番自分らしく楽なお店が出来ました」というのが廣田さんの結論のようだ。

最近は、シンプルに美味しいものをつくって客に喜んでもらうことが、自分自身も楽して楽しくなれることだし、若い頃にみんなから受けた恩を今から返していきたいと考えるようになったそうだ。あの頃は周りのみんなに「ありがとう」と言いまくっていたが、今は「ありがとう」と言われることに喜びを感じるようになったそうだ。歳をとってくると恩返しということが一つの生きるテーマになるのは僕も50歳過ぎたあたりから感じている点だ。

廣田さんの外国旅行のスタイルがそうであるように、人生設計も堅苦しいプランを立てずにその日その日を楽に楽しく過ごしたい。そのためにはシンプルに美味しいことに関わりながら、感謝の気持ちで過ごしたい、ということかな。僕とは違うタイプの人間だとは思っていたが、そういう点では僕もまったくもって共感できることだと最後に思った。考え方の奥の方で共感できるからこそ、僕はずっと廣田さんに興味をもっていたのだろう。

娘が2人いる廣田さん。長女の名前は「楽子」ちゃん。この場合の「楽」という文字は、楽したいというより、楽しく生きて欲しいという意味を込めたそうだ。どちらにしろ廣田さんにとっての人生のキーワードは「楽」ということなのかもしれない。

そんな廣田さんが自宅を改装した店舗で作るシンプルで美味しいインドカレー。是非、廣田さんの人柄もふくめてまるごと味わいに行ってみて欲しい。インドや外国での事件みたいなとんでもない体験話が聞けるかも。聞いてみると背筋も凍るような日本ではありえないスリリングなエピソードがたくさん。そこだけは、いくら大好きな外国でもマジで“楽”ではなかったそうだが。

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INFORMATION

店名

NADO

住所

福岡県糟屋郡宇美町宇美4-3-13

時間

11:00~15:00

店休

不定休

席数

15席

電話

なし

駐車場

なし

メニュー

カレープレート1,500円、カレーライス1,000円、ラッシー300円、チャイ500円、ビール500円~

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