上野万太郎

上野万太郎の「この人がいるからここに行く」無化調の“自然派玄米たこ焼き”移動販売で福岡から100店舗目指す“じゃんたこさん”こと、うちやま健吾さん

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福岡を代表する人気ブロガー&ライターの上野万太郎さんの連載人気企画。万太郎さん自ら惚れ込んだ”あの場所のこの人”を紹介する『上野万太郎の「この人がいるからここに行く」』今回は、“自然派玄米たこ焼き”として人気のうちやま健吾さんです。

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はじめに

2021年5月、兵庫県から単身で福岡県へ移住して、たこ焼きの移動販売をしている友達がいます。あの全身オレンジ色の衣装をまとった「こめもん専門店タコタマ」のうちやま健吾さん(通称:じゃんたこさん)です。

たこ焼きって一般的には小麦粉ですよね。彼の場合、福岡に移住してきたタイミングで小麦粉を米粉に変え、その後、玄米粉に変更。さらに今年10月からは出汁、ソースなどを含めてほぼ無化調でたこ焼きを作っているんです。

なぜ兵庫県加古川市から福岡市へ移住し、さらにこだわりのたこ焼きを販売しているのか。グルテンフリー、アレルギーなどの方にも喜ばれる“自然派玄米たこ焼き”。それに取り組む想いや苦労を聞いてみたいと思います。

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京都生まれ兵庫県育ちのじゃんたこさん

― 生まれは京都市なのですね。

じゃんたこさんー京都で生まれ4歳で姫路市に引っ越しました。大人になってからは大阪、東京、栃木、姫路、大阪、加古川、福岡と仕事の関係で転々とする人生を送っている43歳です。

― 小さい頃はどんな子供だったのでしょうか。

じゃんたこさんー 子供の頃はお調子者で落ち着きがないタイプと通信簿に書かれていました。みんなで集まってワイワイ楽しむのが好きでした。婆ちゃん子で育ったので、祖母と一緒に食事の用意の手伝いをしていたので料理をすることは小さい頃から好きでした。小学校の頃にコミック漫画の「クッキングパパ」にハマり、今でも全巻を持っているほど僕のバイブルです。その影響もありさらに料理に興味を持ちましたね。

― 高校卒業後はどうされました?

じゃんたこさんー 高校卒業後に調理の道に進むことを決意し、栄養士の専門学校に進学しました。そこで、調理師、栄養士の資格を取りました。さらに祖母の世話をしたかったのでホームヘルパー2級の資格も取得しました。

最初は大阪で就職

― 専門学校卒業後はどうされました?

じゃんたこさんー 大阪の焼鳥チェーン店に就職しました。新店スタッフ募集ということで採用された新卒社員5人だったのですが、なんと1か月半で全員リストラという羽目に遭ったんです。新店出店の話が流れたそうで、準備期間に残業しまくって散々こき使われた挙句に解雇という社会人を最悪の経験でスタートしました(笑)

― 出足最悪ですね。

じゃんたこさんー その後、姫路市に帰ってスーパーマーケットでアルバイトしていたのですが、東京に行けば仕事があるかもしれないと思い、求人雑誌を片手にあてもなく上京したんです。たこ焼き店の店長募集という広告を見つけて申し込んだところいきなり採用されました。あとで聞いてみたら自分以外に誰も申し込みがなかったそうです(笑)

― 最悪の後にラッキーじゃないですか。

じゃんたこさんー 東京まで行ったのに、採用されたたこ焼き店では店長研修ということですぐに大阪へ1ケ月間もどったんです。研修が終わって2年間その会社で働きましたが、経営方針に納得がいかずに辞めてしまいました。
しかし、その会社でたこ焼きの面白さにはハマりましたね。退職後はアルバイトをしながら、全国のたこ焼きを食べ歩きしました。700軒以上のたこ焼きを食べたと思います。

― アルバイトのお金をたこ焼き食べ歩きにつぎ込んだわけですね。

じゃんたこさんー そうですね。そしてたこ焼き店の仕事をしっかりしていこうと決意したのはこの頃です。「じゃんぼ總本店」というたこ焼き店に就職してたこ焼きの更なる修業をしました。ちなみに、僕が「じゃんたこ」と呼ばれているのは、ここでロボットのように高速でたこ焼きを焼きまくっていたので、それを見た若いスタッフが「じゃんぼ總本店でロボットみたいにたこ焼きを焼いている」ということで、「じゃんたこ」と呼ばれるようになったんです。

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その後独立に向けて検討している時に「じゃんぼ總本店」の元上司が独立するというので自分の勉強にもなると思い開業の手伝いをさせてもらいました。

― いよいよたこ焼き店への一筋の道が見えてきましたね。

じゃんたこさんー しかし、29才の時に、そこそこの大病を患ったんです。ひょっとして死ぬんじゃないかと思った時期もあったので、それを乗り越えた後は、人生やりたいことをやって悔いないように生きたいと強く思うようになりました。そして独立するにも手持ちが少なかったので、最初は店舗ではなくキッチンカーでの開業を考えました。

最初の開業へむけて

じゃんたこさんー キッチンカーでたこ焼き店を始めると決めた後は、栃木県でキッチンカーの仕事を手伝いながら2年間基礎を勉強しました。

― キッチンカーの準備は順調に出来ましたか。

じゃんたこさんー やりたいことを口に出すことはやっぱり大事ですね。僕の話を聞いた周りの人がいろいろ助けてくれたのです。キッチンカーを作るための材料など「これ余っているから使って」みたいな人がたくさん現れて支援してくれました。結局30万円という破格の予算でキッチンカーを完成させることが出来ました。そして2014年10月20日、「たこ魂(たこたま)」という屋号でスタートしました。

― 順調にスタートしましたか。

じゃんたこさんー キッチンカーは順調でしたが、いつかは店舗で営業したいなぁと思っていたんです。開業後1年経った頃に、もともと目をつけていた不動産物件に空きが出たんです。加古川駅前の商店街の中の3.5坪の物件でした。商店街の路面店ということで立地は良かったので、家賃は当時13万円。少し高めでしたけどチャレンジしてみようと思い契約しました。人を雇ってキッチンカーと店舗の両方で営業していくことにしたんです。しかし、2年半で閉店することになりました。人を雇うということの大変さを勉強しました。
ちなみに、実店舗開業した時の借り入れは現在も返済し続けています。高い勉強代でした。その後はずっとキッチンカーのみで営業しています。

福岡へのお試し出店

― その後、僕と知り会うんですね。

じゃんたこさんー そうです。僕がラジオ大好きで全国のラジオを聴いていたんです。キッチンカーで営業しながらでもラジオって聴けるじゃないですか。ちょうど「radiko」という全国のラジオがスマホのアプリで聴けるというサービスも出来たので仕事中に気に入った全国のラジオ番組を聴いていました。その時に「コミュニティラジオ天神」で「カレバカラジオ」という番組をされていた万太郎さんやタケルさんを知ったんです。

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コミュニティラジオ天神に出演中のじゃんたこさん、たけるさん、デビ高橋さんと私

― そうそう。毎週メッセージを送ってくれていましたね。

じゃんたこさんー 漫画「クッキングパパ」作者の「うえやまとち」さんが福岡出身だったので福岡には興味や憧れがあったんです。さらに「カレバカラジオ」の番組中に万太郎さんが「キッチンカーで福岡に遊びにきたら出店させてもらえるところを紹介するよ」と言ってくれたので、じゃあ一度行ってみよう!と思ったのがきっかけでした

― 本当に来るとは思ってなかったけど、あの行動力にはびっくりしましたよ(笑)

じゃんたこさんー おいおい(笑)それでも博多の美野島商店街で5日間しっかりたこ焼きが売れて助かりました。ラジオリスナーの人もたくさん買いに来てくれてとっても嬉しかったです。町内会長さんも自分の土地を格安で貸してくださり有難かったです。それで福岡って良い街だなぁと好きになったんです。

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美野島商店街出店時

― しかしそれから4カ月後にはそれまで活動していた兵庫県加古川市を離れて福岡に移住して来るというのは本当にびっくりでしたよ。そうしようと思った考えを改めて聞かせてください。

じゃんたこさんー たこ焼きのキッチンカーで兵庫県を中心に6年間活動してきていたんですが、周りには同じようなキッチンカーも増えてきたし少し伸び悩みも感じていたんです。それを打破する選択肢は、「業態を変える」「場所を変える」「事業を辞める」の3つしかないと思っていました。特に辞めることも最有力で考えたのですが、その時に母親にちょっと弱音を吐いたというか相談したんです。そしたら母が「絶対やめたらアカン。あんたにはたこ焼きしかないやろ!!」と珍しくしっかりと強めに叱ってくれたんです。いつもは「好きにしたらええがな」とかしか言わない母だったんですけどね。周りの友達にも「色々やってきて続いているのがたこ焼きやん」と言われて、確かにそう言われてみれば自分の人生を振り返ってみたら、ずっとたこ焼きを焼くことが一番好きだったよなぁと改めて分かったんです。じゃあ、「場所を変える」という選択肢で、このタイミングで知り合った福岡に行ってみるか。これも縁だ!!と思ったんです。

― そんな大きな決断の時期とは露知らず、「福岡に来たらいいやん」って軽い気持ちで言っていたのが申し訳なかったね(笑)

福岡移住と米粉たこ焼きのスタート

― コロナ禍で大変な時期でしたけど、美野島商店街出店から3カ月後に単身福岡へ移住して、第一回目の出店は、2021年5月1日香椎の西鉄電車の高架下でしたね。

じゃんたこさんー そうです。香椎コンテナ村を運営されている仲盛さんにお世話になりました。あの日から、たこ焼きの原料を小麦から米粉に変更したんです。以前から小麦アレルギーやグルテンフリーの方へもたこ焼きを食べてもらえないかとずっと製粉会社にお願いしていて、それがちょうどあのタイミングで完成し、福岡から米粉たこ焼きを始めました。

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― 僕も1月の美野島出店の時に小麦粉タイプも食べていたのですが違いはあまり分かりませんでした。

じゃんたこさんー そうなんです。違いが分からないようにするのが難しかったんです。僕のたこ焼きの特徴である、外はフワフワ、中はトロトロ、食べた感じはモチモチというのが変わってしまったらダメなのでそこが一番ー難しかったです。

― さらに現在は米粉を玄米粉に進化させたんですね。

じゃんたこさんー はい。玄米にはさらに栄養があるということで、そこも使えないかと製粉会社の社長に相談して数年かけて作ってもらいました。玄米を使うとさらに食感がボソボソになりそうなのですが、製粉方法を研究してもらって、フワフワ、トロトロ、モチモチを維持できるような粉を作ってもらいました。製粉会社の社長には感謝しかありません。

取り組む“自然派玄米たこ焼き”

― 今年の10月からはソースや出汁、油、醤油、塩、玉子、マヨネーズにいたるまで化学調味料を排した無添加の材料しか使わない“自然派玄米たこ焼き”に変わったそうですね。他の店では食べられないような安心で安全で美味しいたこ焼になっていると思いますが、その分コストも上がったから大変でしょう。

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じゃんたこさんー コストも高くなりました。昨今の原材料の物価高も重なり販売価格も上がってしまったのでお客様には大変申し訳ないと思っています。福岡出店した頃は1パック6個入り400円でした。しかし今は6個入り800円です。玉の大きさは以前より大きくしていますが、それでも2倍になってしまいました。

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― 昭和生まれの九州人の僕からしたらたこ焼きとは、おやつ的な感覚の食べ物。安くてボリュームがあるほうが世間的には受け入れやすいと思うのですが・・・。

じゃんたこさんー 一般的にはそれが普通の感覚だと思います。しかし安売り合戦みたいになったのが嫌で地元から出てきたわけですから、僕は素材にこだわった誰にも簡単にはマネの出来ない個性的なたこ焼きにこだわりたいと思っています。無化調や無添加という言葉は今の世の中いろいろツッコむ人もいるので、僕は“自然派玄米たこ焼き”として安心安全に特化したたこ焼きとして頑張っていこうと思っています。

― お客様の反応はいかがでしょうか?

じゃんたこさんー 小麦粉アレルギーやグルテンフリーの方、またはお子様に食べさせたい親御さんには評判が良くてリピートされることが多いです。100人の中の90人に1回売れるより、100人の中の10人に10回売れるような商売をしたいです。

― たこ焼きにそこまでこだわらなくてもいいやん、という人も多いと思いますが、たこ焼きにそこまでこだわってもいいやん、という考えは確かにありだと思うし、実際、美味しいですからね。

じゃんたこさんー どんなにこちら側の理想が高くても美味しいと思ってもらえなきゃ意味ないですからね。自己満足にならないように、美味しさは一番大事にしていきたいと思います。

将来の夢

― 将来に向けての夢はなんでしょうか?

じゃんたこさんー 僕の“自然派玄米たこ焼き”を一緒に展開してくれるお店を「盛共店」として募集しています。現在、広島に1号店が出来て想いを一緒にたこ焼きを焼いてくれています。儲けるためだけでなく“自然派玄米たこ焼き”を世の中に広げるために頑張って仲間を増やしていきたいと思っています。

― 夢と言えば、一度加古川市で失敗した店舗での営業についてはいかがでしょうか?

じゃんたこさんー 良い物件と人との出会いがあればやりたいと思っています。これはあせらずタイミングを待とうと思いますね。

― 最後に、福岡に移住された後になんと3回目の結婚をされ、さらに初めてのお子さんにも恵まれたじゃんたこさんですが、ご家族にも一言どうぞ。

じゃんたこさんー 僕が家に帰れない日が多い中で奥さんは仕事と子育てを頑張ってくれていて感謝の言葉しかありません。この2人をしっかり守って将来的に幸せにするためにもとにかく一生懸命仕事をしようと思っています。そして出来る限り家事育児も手伝えるように仕事のやり方も考えていきたいと思っています。奥さん、いつもありがとうございます。

― これからも頑張ってください。応援してます!

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店名:こめもん専門店 タコタマ
住所:福岡県内を中心に北部九州や中国地方で活動中
instagram:https://www.instagram.com/takotama2014/

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