上野万太郎 とまと畑

上野万太郎の「この人がいるからここに行く」 先代オーナーから娘へ引継ぎ中。創業45年「洋食屋とまと畑」の2号店

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muto編集部

福岡を代表する人気ブロガー&ライターの上野万太郎さんの連載人気企画。万太郎さん自ら惚れ込んだ”あの場所のこの人”を紹介する『上野万太郎の「この人がいるからここに行く」』今回は、あの伝説の名店の物語です。

かつて、旧博多スターレーン横のマンションにあった「とまと畑」というレストラン

2022年12月、博多区に「洋食屋とまと畑 東比恵店」が開店した。洋風の定食を提供する食堂だ。最近僕は仕事帰り、晩ご飯に寄ることが多い。

昔、旧博多スターレーン横に「とまと畑」があったのをご存じだろうか。若い頃に僕も数回行ったことがある。お手頃価格で当時としてはハイカラな洋食が頂けると評判で、近隣のビジネスマンで賑わっていた。しかし、入居していたビルが解体されるということで2017年10月、「とまと畑」は多くのファンに惜しまれつつ閉店した。
当時お店を切り盛りしていたのは今回の主役、東比恵店の店長、田中萌梨佳(もりか)さんのお父様、田中守行(もりゆき)さんだ。

少し話は遡るが、守行さんはホテルで料理人として働いていたが、1979年、27才の時に旧博多スターレーン横に「とまと畑」を開業した。肉料理を中心とした洋食メニューでみんなが身近に楽しんでもらえる定食を提供するというスタイルだった。

上野万太郎 とまと畑

旧スターレーン横の旧本店の最初の頃

久留米市出身の料理人一家

守行さんは、久留米市の出身。久留米壱番街近くでご両親が経営する「アラスカ」という洋食屋で育った。守行さんの店作りのモデルには「アラスカ」の景色があったという。「アラスカ」は2階でお母様が晩年まで一人で切り盛りされており、守行さんのお兄様も1階で2018年までお店を開いておられたそうだ。久留米市出身の僕も最近まで「アラスカ」の看板があったのを知っているが、今思えば入ったことがないのが悔やまれる。

話を戻して、旧スターレーン横の「とまと畑」は、ビル解体により仕方なく閉店したが、翌11月に場所を北天神に移し、「洋食屋Tomato畑」としてすぐに再開された。その後、レストランなどで料理人をしていた次男の守亜(もりつぐ)さんがお店に加わり、守行さんの味に守亜さんのアレンジも加わりメニューの幅は広がったそうだ。現在は守亜さんに店を引き継いでいるが、ランチ営業を中心に北天神で人気の洋食屋となっている。

上野万太郎 とまと畑

旧スターレーン横の旧本店の最終営業日

ちなみに、萌梨佳さんの兄、つまり守行さんの長男の一行さんは現在フランスにて「レストラン ラシーヌ」でオーナーシェフをしている。なんと開業わずか1年半で1つ星、5年後には2つ星となり、「45歳までに3つ星を」と頑張っているそうだ。次男の守亜さんも北天神「洋食屋Tomato畑」に入る前に、一行さんの「ラシーヌ」へ2年以上修業に行っていたそうだ。

料理人へ転職した萌梨佳さん

話は遠回りしたが、東比恵の店長、萌梨佳さんはそんな料理人家族の中で育った。しかし本人と言えば、まったく飲食店には関係なく、2年前まで食料品の催事販売の仕事に15年以上関わっていた。大手スーパーや百貨店の催事コーナーでの食料品の販売活動だ。社用車に商品や着替えを積み込んで、催事場の現場を1週間ずつ転々としながら販売を行っていく。長い時には、最長8ケ月間も家に帰らず出張しっぱなしだったこともあったという。

「とにかく楽しかったですね。全然しんどくなかったです。初めて店頭で会うお客さんに商品を売り込むのが大好きでした。頑張れば頑張るほど、どんどん売れるんです」とその明るく積極的で人懐っこい人柄が功を奏していたのだろう。とにかく売れたそうだ。『好きならなんでも勝つ!!』という気持ちで前向きにやってました」とのこと。

そんな萌梨佳さんだったが、COVID-19禍の頃、会社の都合で退職することになった。実家にいることが増えたので、父、守行さんとゆっくり話すことも増えた。やりがいのある仕事から離れて次に何をしようかと考えていたが、どうせやるなら、やっぱり以前みたいにしんどくても楽しい仕事がやりたかった。

そんな時、守行さんが「したい仕事が見つからないなら飲食店するか?お前がやりたなら俺もまだ教えられるし手伝えるぞ。」と言われたそうだ。特に深い意味もなく、なんとなくの話だったかもしれない。「洋食屋でなくてもうどん屋にも興味あるんだよね~」。そんな話しをしながら、とりあえず、賃貸物件探しながら考えようよ、ということになったらしい。

物件探し

東区や糟屋郡の物件を見に行った。物件を見始めるとどんどんやる気スイッチが入っていった。「やる?」から「やろう!!」へと二人の気持ちが変わっていった。

ランチタイムに合わせての見学。いろいろ廻ってみたが、その時間帯の人通りの様子を見たら、やはり郊外よりも博多区だな、と再認識。そんな時に現在の東比恵の良い物件があった。しかしそのビルの一階に「中華そばかなで」も営業中であり、大家さんから「飲食店以外で入居者募集中です」と一度は断られたが、天神店での営業実績や物件使用状況も見てもらい、どうにかこうにか賃貸契約にこぎつけたそうだ。2022年9月のことだった。

思い立ってバタバタ4ケ月のスピードで、2022年12月に「洋食屋とまと畑 東比恵店」はオープンした。オープン時には旧博多スターレーンあたりでビラ配りもした。元々「とまと畑」が博多の人気店だったということもあり、「昔の『とまと畑』、知ってるよ」、「よく食べに行ってたよ」という方も多く、現在のお客さんの半分以上がそういう人らしい。

上野万太郎 とまと畑

2022年12月に開業した東比恵店

父の元での料理人修業のスタート

とはいえ、萌梨佳さんは料理人としての仕事は初めてである。そして守行さんは一度引退した身である。いつまでも一緒に店に立つことはできない。開業時に、守行さんと萌梨佳さんは約束をした。修業期間は2年間。その後は萌梨佳さんが一人で「とまと畑」の味を守り続けるということを決めた。

守行さんの指導は厳しかったですか?と聞いてみると、「厳しいというか、私は専門用語も分からないし、レシピも数値化されてないし、父は、『だいたい、こんなもん』とか言いながら材料混ぜたり調味料入れたりするから、全然分からないんですよ!!(泣)」

「父とは元々仲は良かったのですが、一緒に働くといろいろとお互い溜まるモノがあって、ちょっと微妙な関係にもなったりもしましたね~」

そんな苦労もしながら2024年3月からは、夜営業は萌梨佳さん一人で調理をしている。「まだまだ覚えることが多くて独り立ちは心配ですが、2024年12月という期限があるので、集中し勉強しながら濃い時間をおくれています」と、元々頑張り屋さんなだけに僕が見ていても頼りなさなど微塵も見せない。

料理人一家の中で育ってきたわけだが、料理人としては先輩にあたるお兄さんや弟さんに対してライバル心とかはないのだろうか。「まったくないですよ。それよりも父の味である昔の『とまと畑』の料理を再現することで精一杯ですね。それがとりあえずの近々の目標です」と萌梨佳さん。

上野万太郎 とまと畑

現在のメニュー

上野万太郎 とまと畑

週替わりランチ

上野万太郎 とまと畑

やわらカツに海老フライ追加

上野万太郎 とまと畑
上野万太郎 とまと畑

手羽カツとタンシチューのセットに海老フライ追加/ヒレカツカレー

これからの料理人としての人生

兄、一行さん、弟、守亜さんと3人兄妹で料理人になった田中家。父の守行さんは嬉しい限りだと思う。その中でも娘の萌梨佳さんが「お父さんの『とまと畑』の味を受け継ぎたい」と料理人一家に加わったことはさらに嬉しいだろうなぁと思う。

以前の会社を退職した時、萌梨佳さんは兄の一行さんからのお願いで1年半、ベビーシッターのためにフランスに住んでいたそうだ。料理の修行で行った訳ではないが、1年半の仏生活は料理人としてのこれからの人生に大きなエッセンスになるのではないだろうか。

「夢ですか? 小さい頃から祖母の『アラスカ』の匂いが好きだったんです。今想像してもとっても懐かしい匂いなんです。そして、祖母を見習って80歳になってもここでお店をしていたいなぁって思っています。ここの店に決めたのも、広さ的に席数を調整したらワンオペでの営業にもちょうど良いかなぁと思ったんです。結局、父も兄も、弟も、その原点は祖母の『アラスカ』にあるのだと思うんです」と熱く語る萌梨佳さん。

そんな話を聞いていると、祖母から繋がる料理人としての血というかDNAというか、田中家の料理人としての力強さが感じられる。料理人としてはまだまだ大変な苦労が続く萌梨佳さんだと思うが、数年後にきっとこう言っていると思う。

「好きならなんでも勝つ!!」

そう思えるような人生を送って欲しい、と心から思いながら今夜も柔らかいヒレカツを頬ばるのであった。

上野万太郎 とまと畑

INFORMATION

店名

洋食屋とまと畑 東比恵店

住所

福岡市博多区東比恵2-8-24

時間

11:00~OS 20:00、月曜日はOS 15:00

店休

日曜日、祝日

メニュー

週替わりランチ880円、やわらカツ880円、海老フライ980円(ともにご飯 味噌汁付き)

席数

18

駐車場

2台

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