生きる 大川小学校

小さないのちが遺した伝えなくてはいけないこと。映画『生きる 大川小学校 津波裁判を闘った人たち』KBCシネマ・3月3日より公開

公開日

muto編集部

2011年3月11日に起こった東日本大震災で、宮城県石巻市の大川小学校は津波にのまれ、全校児童の7割に相当する74人の児童(うち4人は未だ行方不明)と10人の教職員が亡くなりました。親たちの強い思いを追った10年にわたる唯一無二の記録映画。

映画「生きる」大川小学校津波裁判を闘った人たち

2011年3月11日に起こった東日本大震災。
日本中、いや世界中の人々が自然災害と社会のあり方に深い思いを寄せた大災害。
あの東日本大震災において、私たちの記憶に刻まれている一つの事象がある。

東日本大震災による津波で児童74人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市の大川小学校。
大川小の児童たちはなぜ逃げ遅れたか。遺族の一部は「子どもの死の真相を知りたい」と国家賠償請求訴訟に挑んだ。

生きる 大川小学校

大川小学校の悲劇とその後を丹念に、粘り強く追いかけた映画が公開される。
タイトルは、『生きる 大川小学校津波裁判を闘った人たち』
監督は、これまでテレビ番組作りで、様々な社会問題を中心に番組制作を手がけてきた寺田和弘氏。自身初の監督として、遺族たちの闘いを追ったドキュメンタリー映画を製作した。

地震直後、宮城県石巻市の大川小学校は津波にのまれ、全校児童の7割に相当する74人の児童(うち4人は未だ行方不明)と10人の教職員が亡くなった。地震発生から津波が学校に到達するまで約51分、ラジオや行政防災無線で津波情報は学校側にも伝わりスクールバスも待機していた。にもかかわらず、この震災で大川小学校は唯一多数の犠牲者を出した。この惨事を引き起こした事実・理由を知りたいという親たちの切なる願いに対し、行政の対応には誠意が感じられず、その説明に嘘や隠ぺいがあると感じた親たちは真実を求め、石巻市と宮城県を被告にして国家賠償請求の裁判を提起した。彼らは、震災直後から、そして裁判が始まってからも記録を撮り続け、のべ10年にわたる映像が貴重な記録として残ることになっていく——

東日本大震災・大川小学校の被災状況
[当日の行動]
14:46
地震発生
14:50頃
校庭に移動し、そのまま校庭に待機
14:52
大津波警報 防災行政無線(予想津波高6m)
15:10頃
大津波警報 防災行政無線(2回目)
15:20頃
消防車「高台避難」呼び掛け 大川小学校前を通過
15:28頃
石巻市広報車「追波湾の松林を津波が越えた」と「高台避難」を呼び掛け、大川小学校前を通過
15:35頃
「三角地帯」への移動を開始
15:37頃
大川小に津波が到達

弁護団はたった2人の弁護士
親たちが“わが子の代理人”となり裁判史上、画期的な判決に

この裁判の代理人を務めたのは吉岡和弘、齋藤雅弘の両弁護士。
この裁判で、親たちは、「金がほしいのか」といわれのない誹謗中傷も浴びせられる中、“わが子の事実上の代理人弁護士”となって証拠集めに奔走し、わずか2人の弁護団でわが子を失った親たちとともに、5年にもわたる裁判で「画期的」といわれた判決を勝ち取った。そうした親たちと二人の弁護士の闘いの一部始終を記録として撮り続け、膨大な闘いの記録が残った。寺田和弘監督は、この貴重な撮影記録を丁寧に構成・編集し、独自の追加撮影もあわせて、後世に残すべき作品として作り上げた。

生きる 大川小学校

寺田和弘監督のことば

「裁判なんてしたくなかった」これは原告となった遺族の声です。

なぜ遺族は裁判に踏み切らざるを得なかったのか。画期的と言われる仙台高裁判決を社会はどう生かしていくのか。こうした思いから、「生きる」大川小学校津波裁判を闘った人たちを制作しました。

映画は、津波が大川小学校を襲った後、わが子を見つけるために保護者が必死になって学校に駆けつけた、その日から始まります。「あの日何があったのか」「なぜわが子が学校で最期を迎えたのか」、ただそれだけを知りたくて、親たちは石巻市教育委員会の説明会や事故検証委員会などに出席し、その様子を記録し続けました。この映画は、遺族が撮影してきたその映像記録を軸に描いています。

私は遺族が記録した映像を何度も何度も繰り返し見続けました。しかし遺族の求めた答えを、そこから探し出すことはできませんでした。その一方で、説明会を開催するたびに遺族と行政側の溝が広がり、深まっていくように感じました。そして私は、この様子を映画を見てくださる方々に追体験してもらいたいと考えるようになりました。遺族の立場になって、自分事として、この映画を見ていただければと思っています。

映画の中でも触れていますが、裁判を起こした遺族は約3分の1です。原告遺族の中でも、考えや思いはそれぞれ違います。私もまだ一度も話したことがない方もいます。まだまだ分からないことが多い、いや、それどころか遺族が求め続けている「あの日何があったのか」や「なぜわが子が学校で最期を迎えたのか」ということすら、未だに明らかにされてはいません。

映画を制作しませんかと原告団会議で初めて提案したとき、出席した遺族らの多くは反対しました。私が何をしたいのか具体的に提示できなかったこともありますが、一緒に闘った仲間がまた殺害予告されるのではないか、それを防ぐためにはもう表に出ない方がいいのはないかと考えたと映画完成後にある遺族がその時の思いを話してくれました。

この映画を通じて、裁判で闘わざるを得なかった遺族の苦悩、子どもが生きるはずであった人生を生きなければと葛藤し続け、前を向き始めた遺族らの姿を知っていただきたいと思っています。共感しやすい感動的な奮闘ストーリーがある映画ではありません。起きた事実を記録しているため、見ていて、苦しく、つらい場面があるかも知れません。それでも「誰にも同じ思いを二度としてほしくない」と闘った親たちの生き様を、劇場で多くの方々と一緒に観ていただければ嬉しく思います。

寺田和弘監督プロフィール
1971年神戸市出身。
1990年神戸高塚高校卒業。1999年から2010年までテレビ朝日「サンデープロジェクト」 特集班ディレクター。シリーズ企画「言論は大丈夫か」などを担当。
2011年から所属する番組制作会社パオネットワークで、主に社会問題を中心に番組制作を 行う。近年はアイヌの“先住権”問題の取材に取り組んでいる。
受賞作に「シリーズ言論は大丈夫か~ビラ配り逮捕と公安~」(テレビ朝日・ABC サンデー プロジェクト、2006年JCJ賞)、「DNA鑑定の闇~捜査機関“独占”の危険性~」(テレビ朝 日、2015年テレメンタリー年間最優秀賞・ギャラクシー賞奨励賞)がある。本作『「生きる」 大川小学校 津波裁判を闘った人たち』が、長編ドキュメンタリー映画初監督作品となる。

この映画の公式webサイトには、多くの著名人、関係者などによるコメントが掲載されている。
https://ikiru-okawafilm.com/

コメント者は以下の通り(順不同・敬称略)

・尾木 直樹(教育評論家・法政大学名誉教授)
・竹下 景子(俳優)
・田原 総一朗(ジャーナリスト)
・堤 幸彦(映画監督)
・安田 菜津紀(認定NPO法人Dialogue for People副代表/フォトジャーナリスト)
・綿井 健陽(ジャーナリスト・映画監督)
・江上 剛(作家)
・大谷 昭宏(ジャーナリスト)
・吉岡 和弘(弁護士・本作出演)
・齋藤 雅弘(弁護士・本作出演)

膨大な闘いの記録から、この映画が問いかけるもの。
それを凝視しなくてはいけない。

映画『生きる 大川小学校 津波裁判を闘った人たち』は、全国順次公開中。
福岡では、KBCシネマで、3月3日(金)〜公開。
3月5日(日)上映後には、 齋藤雅弘弁護士(本作出演)のトークイベントを開催します。
詳しくはこちら → https://kbc-cinema.com/news/event/11945.html

INFORMATION

タイトル

『生きる 大川小学校 津波裁判を闘った人たち』

スタッフ、他

監督:寺田和弘
プロデューサー:松本裕子
撮影:藤田和也、山口正芳
音効:宮本陽一
編集:加藤裕也
MA:髙梨智史
協力:大川小学校児童津波被災遺族原告団、吉岡和弘、齋藤雅弘
主題歌:「駆けて来てよ」(歌:廣瀬奏)
バリアフリー版制作:NPOメディア・アクセス・サポートセンター
助成:文化庁文化芸術振興費補助金(映画創造活動支援事業)、独立行政法人日本芸術文化振興会
後援:宮城県
製作:(株)パオネットワーク
宣伝美術:追川恵子
配給:きろくびと
2022年文部科学省選定作品、東京都推奨映画
2022年/日本/16:9/カラー/124分
©︎2022 PAO NETWORK INC.

劇場

3月3日よりKBCシネマ1.2で公開
(全国の映画館でも順次公開中)
上映劇場の情報はHPにて。

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