住む憧れ「グランドメゾン」の人気の理由。
中村人形の真髄が垣間見れる「傀藝堂」
福岡市内の中でも特に閑静な住宅街として知られる桜坂。この地に今年4月、人形師、中村信喬氏と中村弘峰氏の作品を展示・販売するギャラリー「傀藝堂(かいげいどう)」がオープンしました。
博多人形の歴史は、黒田長政の筑前入国に伴って集められた職人たちから生まれた素焼き人形を起源に持つといわれています。名門、中村人形は1917年、博多区下呉服町で初代・中村筑阿弥(ちくあみ)によって創業され、その後、2代目中村衍涯(えんがい)の時代に桜坂に工房を移転しました。
「桜坂が高級住宅街になったのは、ほんの30年ぐらい前でしょう。私の小さい頃は、猪が走り回るような森でしたよ」と笑うのは、中村人形三代目・中村信喬氏。博多の伝統工芸の発展を先頭に立って牽引してきた重鎮とは思えぬ暖かさで迎えていただきました。
中村人形三代目 中村 信喬(なかむら しんきょう)
1957年 福岡県福岡市生まれ。1979年 九州産業大学芸術学部美術学科彫刻専攻(木彫)卒業、1983年 林駒夫(現在、重要無形文化財「桐塑人形 」保持者)に入門師事、2011年 ローマ教皇ベネディクト16世に拝謁・作品献上「伊東マンショ像」、2019年 ローマ教皇フランシスコに拝謁・作品献上「中浦ジュリアン像」。日本工芸会理事、日本工芸会人形部部会長、九州産業大学美術館教授。
「このギャラリーを造るきっかけは、自身の個展や百貨店など以外に作品をもっと自由に観ていただきたいという思いからです」と語るのは、信喬氏の息子、四代目の弘峰氏。
中村人形四代目 中村 弘峰(なかむら ひろみね)
1986年 福岡県福岡市生まれ。2009年東京藝術大学美術学部彫刻科卒業、2011年東京藝術大学大学院美術研究科彫刻専攻修了、2011年人形師で父の中村信喬に師事。太宰府天満宮 干支置物制作、博多祇園山笠 土居流舁山制作。2023年福岡県文化賞受賞(奨励部門)。
ギャラリーの名称は「傀藝堂(かいげいどう)」。
「傀」とは人と鬼の字が示す神懸かった人間の意味をもつ。「自分で作っていると思うな」とは二代目・衍涯の口ぐせだった。その真意は、人形師とは何か大きなものによって作品を作らされている存在だということ。その謙虚な気持ちを忘れないように「傀」の字を冠した。
”100年もつギャラリーをつくりたい”と設計を依頼したのは、隈研吾建築都市設計事務所を経て、北欧のデザインなどを学び帰国したばかりの建築家・神谷修平。
桜坂の擁壁の多い土地に合わせ、この建物も外壁を傾斜させたフォルムが印象的。ギャラリー内の通路は「人」の文字になっています。
中村人形とは?
中村人形とは?と信喬氏に問いかけると、「中村人形は、先代と同じものはつくらない。襲名もない世界です。何を作っても自由。ただし、一流でなければ続けてはいけない厳しい世界です。しかし厳しさは苦しみではないですね。私も弘峰もとにかく作ることが好き。そればかり考えている」。
人形とは祈りのかたちだと思うのですと、弘峰氏。
「大切な人へ寄り添う想いを、健康を、幸福を願って人形を贈りたいと訪ねて来られるお客様がいます。つくづく自分はいい仕事をしているなと思うんです。宝物をつくっているわけですから」。
あらゆる伝統工芸は、その時代には現在の表現だったはず。「戦争、経済問題、自然災害・・・。現代は、困難な問題ばかりです。それらを背負って生きる現代の人たちに、自分の作る人形がなにか救いになってくれれば」と語る信喬氏の言葉には、表現者の凄みを感じる。
中村人形は、代々父親から人形作りの多くを学びます。しかし、父の人形作りを受け継ぐわけではありません。むしろ、父とは違うものを作らなければ存在意義はない世界です。七転八倒しながら私の人形を作らなければいけない、と語る信喬氏。
江戸時代の腕の良い人形師が現代に生きていたらと想像しながら創作をしています。歴史や伝統を参照し、かつ現代であること。毎日、これもあれも作りたいと追われています、と語る弘峰氏。
父と子、代々継承されるのは、人形師としての揺るぎない創作への意志。
この凛とした空間に、静かに強く佇む二人の人形師の作品群。
降り注ぐ光、そして影。息を飲むほどの完成度。
いつまでもここに居て人形と対峙していたい。博多に訪れた人だけではなく、この街に住むすべての人に来訪を薦めたい。
INFORMATION
名称
ギャラリー 傀藝堂
住所
福岡市中央区桜坂1-10-46
tel
公式HP
開廊日
月・火・木・金 /13:00〜17:00(入場16:45まで)
休廊日
水・土・日・祝
備考
地下鉄七隈線桜坂駅2番出口より徒歩5分
駐車場3台あり
*オープンの日程・時間は変動すり場合があります。詳しくは、傀藝堂HPをご覧ください。