住む憧れ「グランドメゾン」の人気の理由。
福岡を代表する人気ブロガー&ライターの上野万太郎さんの連載人気企画。万太郎さん自ら惚れ込んだ”あの場所のこの人”を紹介する『上野万太郎の「この人がいるからここに行く」』今回は、自家焙煎珈琲店「Basking Coffee」を10年前に開業した榎原圭太さんのお話し。
4店舗目となる六本松店がオープンした「Basking Coffee」
東区千早で自家焙煎珈琲店「Basking Coffee」を10年前に開業した榎原圭太(えのはら けいた)さん。その後、広島店、春日原店をオープンさせ、今年10月には4店舗目となる六本松店をオープンさせた。
僕が住んでいるのが東区ということもあって、開業当時からよく通っていたので親交のある榎原さん。若い頃にギター片手にバックパッカーとして世界一周の旅をしていたという話は以前聞いていたが、この10年でコーヒーに縁もゆかりもなかった彼がどうして4店舗も展開するに至ったのか、六本松店のオープンを機にしっかり聞いてみたくなり、「muto」で取材させてもらうことにした。
Basking Coffee 六本松店
高校卒業してバンドマンを目指していた頃
福岡市東区生まれの榎原さんは40歳。高校卒業後は就職をせず、バンドマンをしながらピザ店でアルバイトをしていた。
「どんなバンドだったんですか?」
「男3人構成のバンドで、メロコア(メロディック・ハードコア)というジャンルをやっていました。日本のバンドで言えば、Hi-STANDARDや、アメリカではグリーンデイみたいな感じです。ハードコアパンクの一種の音楽ですが、少しメロディアスな曲です。オリジナルの曲も作ってCD発売したりドラムBe-1でライブもしていたんですよ。22歳で解散しましたけどね」
「メロコア?よく分からんけどすごいじゃないですか!!プロを目指していたんですね。22歳で解散したのはメンバーの就職とかそういう理由ですか?」
「そうではなく、なんとなくやれることはやったという感じがあったんですよね」
音楽を生業にしていくのは難しいという現実を考えたということもあったそうだ。
「じゃあ、それから就職活動したんですか?」
「まったくしてないです。高校生の頃から、就職して会社員になるという選択肢というか発想がまったくなくて、これは今でも同じですけどね。当時のメンバーも結局解散した後も普通に会社員にはなってないんですよ」
「就職氷河期と言われる時代でしたからね。ではそれからどうしたんですか?」
「なんとなく、旅に出ることにしました」
「はぁ??(笑)」
バンドを解散して旅に出た榎原さん
2006年、そんな感じでなんとなく榎原さんは沖縄に行くことにしたそうだ。実はバンドが解散したのと同じ頃に当時の彼女と別れたので、今は自由だ!と旅に出たということもあるそうだ。
まずはバックパッカーとして沖縄本島から離島まで1ヵ月間の一人旅だった。そこで目的の無い一人旅の魅力にハマったそうだ。
旅から戻った榎原さんは、次の旅に出るために3カ月間アルバイトをして50万円貯めた。知人が「オーストラリアだったらワーキングホリデーで行けるよ。お金なくなったら現地で働けるのでそれが良いんじゃない?」と勧めてくれたから次はオーストラリアに旅立った。
「オーストラリアではシドニーからブリスベンまで旅をしたところでお金が無くなったので、働くことにしました。畑でフルーツピッキングの仕事など現地の人たちがしたがらないような仕事はたくさんありました。海外からの旅人とルームシェアしながらあちこちで働きながら旅をしました」
僕から見た榎原さんは、そんなに外交的で社交的な雰囲気には見えなかったので現地で知らない人とどんな付き合いをしていたのかとても不思議だった。
「知らない人と会って一緒に仕事をしたり生活するのは楽しかったですね。元々は恥ずかしがり屋で内向的だという自覚はあったので、それから脱却したかったというのがあるかもしれません。好奇心がとても強かったので、それが自分の内向的なキャラクターを越えたのかもしれません。あの旅で考え方や視野が広がったし、少しは大人になったかなとは思いました。まあ未だに立派な大人になったという自信はありませんけど(笑)」
榎原さんは、1年間働きながらオーストラリアを一周した後に、タイに1カ月滞在して日本に帰ってきた。
帰国し、また旅に出るための資金を貯めるために仕事をした。岐阜県にある三菱自動車の工場に勤務。9カ月間で200万円貯めた。海外でのコミュニケーション力をアップさせるために働きながら英会話も勉強した。
その200万円で世界一周の旅に出た。1年間何回でも飛行機に乗れるというチケットを買ったそうだ。カナダ、アメリカ、南米、ヨーロッパ、東アフリカ、インド、東南アジアなど1年半かけて世界一周を果たした。チケットの有効期限は半年過ぎていた。
自社製スイーツ
世界一周を終えていよいよコーヒー業界へ
世界一周を終えて帰国したのは26歳の時だった。さてさてとりあえず何をしようか。決めていたのは独立して店を持ちたいということだけだった。何屋さんになるかも決めてなかったそうだ。
「ではどうしてコーヒー業界への道を選んだのですか?」
「東区の実家に戻っていたのですが、朝近所の公園で犬の散歩をしている時にふと『コーヒーっていいなぁ。カフェとかではなくコーヒー屋になりたいな』と思ったんです」
「いやいや“ふと”そんなこと浮かびます??今となってはそれを実現しているからサラッと言えるでしょうけど、当時はもっとコーヒー屋を選んだ理由があったんじゃないんですか?」
「それがないんですよね。自分に技術や価値をつけてとにかく店を作って自由に生きていきたいということしかなかったんですよ。そんな時に本当に“ふと”、『コーヒー』というイメージが湧いてきたんです」と榎原さん。
おいおいマジかよ。それが僕の本音だった。
「後付けの理由としては、世界を旅したことにより世界のコーヒー産地とのつながりを感じて、、、などいろんな理由は思いつくんですが、当時は本当にそこまで深い理由はなかったんですよ」とのこと。ある意味、それが榎原さんらしいのかもしれない。
六本松店 ユウキ店長
「ハニー珈琲」でコーヒー修業
それにしてもコーヒーに関してはまったくの素人だった榎原さん。とりあえずコーヒーの基礎を学べる自家焙煎コーヒー店で働きたいと思ったという。そんな時に知り合った「ROASTERS CAFE MANO+MANO」の増田さんから「ハニー珈琲さんが良いんじゃないの?」と勧められたそうだ。
榎原さんは当時は「ハニー珈琲」のことも詳しく知らなかったそうだが、早速「ハニー珈琲」を訪問して井崎社長に「働かせてもらえませんか?」とお願いしたらしい。
面接時に「君は何をしていたの?」と聞かれ、正直に「バンドマンを辞めてしばらく世界を旅していました。コーヒーは素人です」と答えたら「君、面白いね」と即採用してもらえたらしい。そして、「30歳までには独立して自家焙煎のコーヒー店を開きたいです」と伝えていたらしい。
「それから2年半、当時は福岡でもスペシャルティコーヒーが定着してきた時期だったので、『ハニー珈琲』ではいろんなことを勉強させてもらいました」と榎原さん。
そして「ハニー珈琲」での仕事を通じて、福岡から全国にそして世界で活躍していく同年代のコーヒーマンたちとの交流もできてとても有意義だったそうだ。例えば2014年世界バリスタチャンピオンの「ハニー珈琲」井崎社長の長男の井崎英典さんや、「REC COFFEE」の岩瀬さん、「スリーシダーズコーヒー」の三杉さんなどには特に刺激をもらったという。
六本松店
「ハニー珈琲」を退職後、また海外へ
29歳で「ハニー珈琲」を卒業した榎原さんはまた海外へ行った。今度はコーヒーの産地を自分の足で回って自分の目で見てみたかったのだ。昔そうであったように今回もバックパッカーの旅だ。
中南米を中心に、エルサルバドル、ニカラグア、コスタリカ、コロンビア、グアテマラの5カ国を回った。生産者を訪問し一緒に農園で働いたりもした。
ちょうどその頃、「COFFEE COUNTY」の森さんも中米の生産者のところにいたので現地から連絡とり合ったこともあったそうだ。
南米での視察を終えた榎原さんはその足でヨーロッパを回った。特に北欧のノルウェー、デンマーク、スウェーデン、オランダなどはコーヒーの消費国として新しい動向が見られていたのでどうしても行ってみたかったそうだ。イタリアのエスプレッソ文化に対してヨーロッパでも浅煎りコーヒーの流れが起こっていた時期だった。
話は横道にそれるが、妻・渚さんとの出会い、トシ店長との出会い
ちなみに現在の榎原さんの妻でワインバーのオーナーでもある渚さんは昔バンドマンだった頃のアルバイト先のピザ屋での同僚(友達というほどの関係性もないただの知り合い)だったそうだ。
数年後にピザ屋仲間との同窓会があって再会したのをきっかけに交際が始まったそうだ。その後渚さんが仕事でフランスに渡りブルゴーニュやボルドーでワイナリーを巡ったりレストランで働いていたために遠距離恋愛を続け、後に結婚に至ったという。
そして現在「Basking Coffee春日原店」の店長を務めるトシさんは、オーストラリアでフルーツピッキングの仕事をしていた時に現地で知り合ったそうだ。トシさんは当時オーストラリア留学中の学生だった。その後榎原さんが「ハニー珈琲」で勤務している時に客としてやってきたトシさんに再会。「おーーー、君はオーストラリアのフルーツピッキングの時の!!」と盛り上がった。それから時々会うようになり親交を深めたそうだ。そして「ハニー珈琲」退職後のヨーロッパ旅行の時にパリで働いていた渚さんと合流してトシさんのオランダのアパートに押しかけてしばらく一緒に生活もしたという。
春日原店オープン時の榎原さんとトシさん
いよいよ「Basking Coffee」の開業
さて、帰国後にいよいよコーヒー店開業の準備に入った。物件は実家に近い東区千早に見つかった。大きなマンションの一階に好条件で路面店として開業できることになった。ドイツの老舗メーカーであるプロバット社製の大きい珈琲焙煎機も導入した。名門メーカーの年代物の名機である。
「ちょうど30歳の時の開業ですね、予定通りですよね。すごいです」と聞くと「自分でも不思議です」と榎原さんは肩に力が入ることなく語ってみせる。
そんな感じで2014年7月「Basking Coffee」はオープンした。店名の「Basking」とは日光浴という意味。「コーヒーの果実が摘み取られた後に天日干しされるんですが、それがコーヒー豆がbasking(日光浴)しているようだったので、それを店名にしました」とのこと。
営業方針としては、「開業当初より今まで、うちはカフェや喫茶店ではなくあくまでもコーヒー豆の販売店という基本はずっと変えていません。食事のメニューはモーニングプレート以外はしない、ドリンクもコーヒー中心であること、そしてスイーツはあくまでもコーヒーに合うことが大前提ということを忘れないようにしています」という。
自宅で美味しくコーヒーを飲んでもらいたい。そのためにも抽出方法もドリップ、フレンチプレス、エアロプレス、エスプレッソなどいろんなタイプを用意しており、自宅で飲むお客さんに適した抽出方法を提案できる体制を整えているそうだ。
Basking Coffee 千早本店(2017年)
コーヒー豆の仕入れについて
現在コーヒー豆の仕入はコーヒー商社を通しているものもあるが、コスタリカの生産者などから直接仕入れているものもある。コーヒー豆の収穫はだいたい11月から2月頃の時期。榎原さんは毎年1月末か2月頃に現地を訪問しているという。
「お客さんもスタッフもそうだけど、コーヒー豆の生産者とも人間関係をしっかり作った中で仕事をしたいんですよ」という。すべてにおいて人が大事なんだろうな。そこはやはり若い頃から海外を一人で歩き回って経験した人と人の出会うことによって生まれる大事なモノが榎原さんの芯の中に組み込まれていると思う。
とにかく人を大事にする榎原さん
榎原さんはとにかく人を大事にするように心がけている。何をするにも人ありきというスタンスだ。
10年前に東区千早で始まった店もその後、2020年5月広島店、2021年4月春日原店、そして今年2024年10月に六本松店がオープンした。特に店舗展開をしたかった気持ちは一切なく、広島店も春日原店もそこでコーヒー店をしたいというスタッフがいたから、「では店を出してみる?」と言う感じで出店したという。そんな感じでとにかく“人ありき”の榎原さんなのだ。
そういう意味で人を育てるということに関しても軸を持っている。
「自分たちが楽しくないならお客さんも楽しくなれないと思うんです。だから仕事は楽しく出来るように考えています。そのためにも組織はフラットであること、階級がないこと、各人が自立して物事を判断できるようになることを目指しています。スタッフにはとにかく自分で考えてやってみて欲しいですね。もちろんその過程で相談や報告したりはあるでしょうけど。一番ダメなのが失敗を恐れて何もしないことだと言い続けています。失敗することによって原因を考えて初めて得るものがあると思うんです」
さらに「日頃からきちんとスタッフ間の意思疎通が出来るようにありたいし、店の将来を一緒に考えられるような連帯感が大事と考えています。そのためにも、年に一回キャンプ研修というのを開催しています。全店お休みにしてスタッフみんなで集まって焚火を見ながら一晩中酒やコーヒーを呑み明かすみたいな。別に仕事の話をしなくても良いんです」という。
この10年、いろんなスタッフがここで育って独立したりもした。それでもここで学んだことは本人たちの今後に役に立っているだろうし、卒業したり独立してもいつまでもそのつながりは消えないだろうと思う。
また、店でお客さん達の顔を見ていたら良く分かるがとにかく店のファンが多い。それは榎原さんだけのファンというより榎原さんが育てたスタッフみんなにファンがついている。推し活に見えてくるほどだ。
ここで働くスタッフはどうしてみんなBaskingカラーというか榎原カラーに染まれるのかと思う時がある。まさにキャンプ研修の目的のような榎原さんの目指す気持ちがしっかりみんなに浸透して共有化されている証拠だろうなと思う。
年に一回のキャンプ研修の風景
コーヒー店オーナーは天職?
ここまで話を聞いてみて、榎原さんがコーヒーの道を選んだことに特別な大きな理由はなかった。榎原さんの場合、いつも大きな決断をする時のことを言葉にすると、“ふと”、“なんとなく”、ということが多いようだ。
ただ、好奇心と行動力がとにかくすごい人だということは分かった。そして、出会いとひらめきと流れを敏感に感じ取ってやりたいことをやってきたら夢を実現できた人という印象だ。結局のところコーヒー業界にすっかりその居場所を見つけた榎原さん。
「22歳でバンドマンをやめてからの18年間、振り返ってみてコーヒー店オーナーになっているこの自分ってどうですか?」と聞いたら榎原さんは目力強めに言い切った。
「今となっては天職です!!」
なるほど天職とは目指すものではなくて、やりたいことをやってやってやりきってやりきった後で辿り着いた先にあるものなのかもしれない。
ある年のキャンプ研修風景
六本松店を作って変わった夢
最後に「これからは何をしたいですか?」と聞いてみた。
「六本松店を作って初めて感じたのですが、店作りというものは無から何かを生み出す楽しみがありますね。店って『庭』みたいなもんだと思うんです。そこに何が生えて来るか、何が咲くか、どんな虫や鳥や動物が集まってくるか、それは自分一人ではどうしようもなくて、外からの大きな力や環境によって起こるものなので、逆にそれを許す気持ちが必要だと思うんです。
実際に登場するのは僕やスタッフやお客様や近所の住人や通りすがりの人だったりするんですけどね。そう考えると『庭』を作るって楽しいなと思いました。そして次は『街』を作りたいなぁとか思うようになっていますね」
あららら、この人は“ふと”とか“なんとなく”とか言いながらまたまた成長してくのだと思った。
本当に榎原圭太って人は不思議な魅力にあふれた人だ。
INFORMATION
店名
Basking Coffee 六本松店
住所
福岡市中央区六本松1-10-45
時間
8:00~20:00 (不定休あり)
店休日
なし(不定休あり)
駐車場
なし
メニュー
本日のコーヒー350円、カプチーノ500円、カフェラテ500円、11:00までモーニングメニューあり。自家焙煎珈琲豆多数