住む憧れ「グランドメゾン」の人気の理由。
「数年前から小さな本屋をのぞくのが苦痛になってきました。」と語る著者。あふれるヘイト本をつくって売るまでの舞台裏には、忠実な労働から生み出される悪意なき怠慢がある。著者の書店への饒舌鋭利な問題提起を、リブロプラス・野上さんが応答します。
『私は本屋が好きでした』著:永江朗
書名の通り、昔の本屋はよかったが今の本屋はダメだと書いてある。
論点はただ一つ、「ヘイト本が並んでいる」ということ。
ヘイト本とは「差別を助長し、少数者への攻撃を扇動する、憎悪に満ちた本」。主に中国人や韓国人に対する差別言説を想定している。
ヘイト本の内容より、流通の過程に着目する。
出版社には出版の自由がある。しかし、書店がこれを販売しなければ、売れなければ、出版社もそうそう作れない。
書店はなぜヘイト本を売るのか、売ってしまうのかと問う。
著者は、出版社から取次・書店まで、出版流通の川上から川下までを調査し、ヘイト本を作る現場、売る現場に強い積極性がないことを指摘する。
つまり、作りたくて作っているのでもなく、売りたくて売っているのでもない。
しかし、結果としてヘイト本は書店の店頭に並んでいる。
この状況を「出版界はアイヒマンだらけ」と刺激的な表現で嘆く。出版流通「無責任」体系の象徴としてのヘイト本だと。
結論的には、日本の出版流通に特有の「配本」制度の中止を訴え、書店の自主的な仕入判断を求めている。
差別扇動に加担する責任を負ってまで販売しようと思うほどの積極性は書店側にないので、自然と店頭からヘイト本が減っていくと期待されている。
心情的には同調したいところも多いのだが、悲観的な予測もある。
従来の「配本」がなくなり、書店が必要と判断したものだけを自主的に仕入れる場合に、書店が何を基準に商品を選ぶか。
書店によって様々であるべきだが、おそらく過去の「売上実績」に依存する傾向が強まるだろう。そのとき、一定の読者(ファン)を持つ著者がいて、前作・前々作の売上実績があり、しかも内容がある程度予想できるヘイト本は、安定して売れる商品として引き続き流通する蓋然性が高い。
逆に、新しい著者・編集者が、新しいニーズを生み出そうと挑む企画においては、「実績がない」という理由で世に出にくくなる恐れもある。
それでいいとは思わないが、そうなる可能性がある。
「私は違う」と言うのは簡単だ。
しかし、それは全体の何割くらいになるだろう。
民主主義にせよ消費社会にせよ、「数」「量」の持つ意味は小さくない。
このテキストは、2020年1月発刊の雑誌mutoに掲載されたものです。
著者プロフィール
永江朗
1958年生まれ。ライター。書籍輸入販売会社のニューアート西武(アールヴィヴァン)を経て、フリーの編集者兼ライターに。90~93年、「宝島」「別冊宝島」編集部に在籍。その後はライター専業。「アサヒ芸能」「週刊朝日」「週刊エコノミスト」などで連載をもつ。ラジオ「ナルミッツ!!! 永江朗ニューブックワールド」(HBC)、「ラジオ深夜便 やっぱり本が好き」(NHK第一)に出演。おもな著書に『インタビュー術!』(講談社現代新書)、『本を読むということ』(河出文庫)、『筑摩書房 それからの40年』(筑摩選書)、『「本が売れない」というけれど』(ポプラ新書)、『小さな出版社のつくり方』(猿江商会)など。
Information
書籍名
私は本屋が好きでした
著者名
永江朗
価格
1,600円(税別)
発売日
2019年12月
ISBNコード
9784811808390