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「みんなが差別を批判できる時代」に私たちは生きている。だから、テレビでもネットでもすぐに炎上騒ぎになるし、他人の足を踏まないように気をつけて、私たちは日々暮らしている。」リブロプラス野上さんの紹介です。
「差別はいけない」とみんながいう時代
鮮やかな論点整理。差別や人権侵害に関わる事象・言説を中心に、さまざまな政治課題を取り上げながら、その全体を「アイデンティティ(民主主義)」と「シティズンシップ(自由主義)」の論理的な対立構図の中に置いてみせる。
アイデンティティの側に、左派ポピュリズムの「ポデモス(スペイン)」「五つ星運動(イタリア)」、トランプを支持する白人労働者層、オルタナライト、暗黒啓蒙、排外主義、ヘイトスピーチ、KKK、在特会、「新しい歴史教科書をつくる会」、ブラック・イズ・ビューティフル、多文化主義、共同性、同質性。
シティズンシップの側に、EUの経済自由化、グローバル資本主義、ポリティカル・コレクトネス、言葉狩り、ポルノ規制、ハラスメント規制、ヘイトスピーチ規制法、C.R.A.C.(レイシストをしばき隊)、朴裕河『帝国の慰安婦』、上野千鶴子『ナショナリズムとジェンダー』、文化的多元主義、公共性、多様性。
「右派」と「左派」でないばかりか、「差別」と「反差別」でもない。
どちらか一方が正しく、他方が間違っているということではない。
立脚する論理が違うことを繰り返し説く。
「足を踏んだ者には、踏まれた者の痛みがわからない」というとき、踏まれた者が踏んだ者を非難する伝統的な反差別運動は、「アイデンティティ」の論理に立脚していた。黒人の、女性の、障害者の、セクシュアル・マイノリティの当事者が、その立場から訴える。
ところが近年の、例えば#MeToo運動をはじめとする性暴力批判や、LGBT差別発言への批判などをみていると、必ずしも当事者ではない一般の市民がその倫理観に基づいて「踏んだ者」を非難している状況がある。
これを「シティズンシップ」の論理とするなら、差別批判のロジックは「アイデンティティ」から「シティズンシップ」へ変化したといっていい。
「差別はいけない」とみんながいう時代。
それはとてもいいことだ。
しかし、差別を生む構造が消えてなくなったわけではない。本書は、そのことを問題にしている。
このテキストは、2019年10月発刊の雑誌mutoに掲載されたものです。
著者プロフィール
綿野恵太
批評家。1988年大阪府生まれ。元出版社勤務。詩と批評『子午線』同人。論考に「谷川雁の原子力」(『現代詩手帖』2014年8-10月)、「原子力の神──吉本隆明の宮沢賢治」(『メタポゾン』11)、「真の平等とはなにか? 植松聖と杉田水脈「生産性」発言から考える」「「みんなが差別を批判できる時代」に私が抱いている危機感」「大炎上したローラ「辺野古工事中止呼び掛け」をどう考えればよいか」(以上三篇、いずれも「現代ビジネス」講談社)など。「連続トークイベント 今なぜ批評なのか──批評家・綿野恵太が、12人の知性に挑む」(週刊読書人)を開催。「オルタナレフト論」を連載中(晶文社スクラップブック)。
書籍名
「差別はいけない」とみんないうけれど。
著者名
綿野恵太
価格
2,200円(税別)
発売日
2019年7月1日
ISBNコード
9784582824896