見るレッスン

蓮實重彦、映画の『観る方法」を新書で授業
『見るレッスン 映画史特別講義』

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最終更新日:

muto編集部 岡浩行

蓮實重彦氏初の新書!サイレント、ドキュメンタリー、ヌーベル・バーグ、そして現代まで120年を超える映画の歴史を案内。

「見るレッスン 映画史特別講義」著:蓮實重彦

”映画を見ているときに大事なことは、物語をたどることではなく、そのつど被写体がどのようなキャメラに収まっているかを確かめることなのです”

蓮實重彦が新書を出した!

と、ちょっとした興奮を覚えつつ本書を手に取った人は、おそらく40代オーバーの映画好き、文学好き、批評好きの人かもしれない。

蓮實重彦とは、第26代東京大学総長、フランスの作家ギュスターヴ・フローベールの世界的研究者にして、80年代以降、日本の映画批評を根底から変えたといわれる映画批評家でもある。

蓮實氏は、80年代、東京大学で教鞭をとる傍ら、立教大学で映画の講義を受け持つ時期があった。
通称、ハスミスクールと言われたそのゼミの中から、黒沢清、青山真治、周防正行、万田邦敏、塩田明彦などの映画監督が輩出される。また、東大のゼミの中からは、中田秀夫や豊島圭介といった監督も出ており、現在、日本映画の中心点にいる監督がことごとく蓮實重彦に強い影響を受けていることになる。

そう、蓮實重彦は偉いのだ。

昨年末、発刊された光文社新書「見るレッスン 映画史特別講義」には、蓮實氏が考える「映画を観る方法」が、わかりやすく、それでいて絶対的な確信を持って語られている。

見るレッスン

蓮實氏が強く語るのは、映画とは「ショットの連なり」である、ということ。

端的に言えば、映画とは、物語(ストーリ展開)でも、俳優の演技力でも、ましてや作品に込められたメッセージでもなく、画面に一瞬あらわれる、息をのむような「ショット」の連なりを立ちあがらせられる作品だけが見るべき映画である、と。

そこで本書では、日本のみならず世界で現在、ショットを撮ることができる監督が紹介される。
(逆にどんなに世間の評価が高くとも、動員観客数が多くともショットの撮れない監督は、存在そのものを否定される)

特にこの新書では、現役の、それも比較的若い世代の監督が紹介される。
ショットの撮れる監督として絶賛を浴びているのは、

・デビット・ロウリー(アメリカ)[セインツ/ア・ゴースト・ストーリー]
・ケリー・ライヒャルト(アメリカ)[ライフ・ゴーズ・オン/オールド・ジョイ]
・ギヨーム・ブラック(フランス)[女っ気なし/7月の物語]
・ワン・ビン(中国)[鉄西区/三姉妹]
・小田香(日本)[セノーテ/鉱、他]
・小森はるか(日本)[空に聞く/二重のまち/交代地のうたを編む]
・濱口竜介(日本)[寝ても覚めても/ドライブ・マイ・カー]
・三宅唱(日本)[きみの鳥はうたえる/ワイルドツアー]
・鈴木卓爾(日本)[嵐電/ゾンからのメッセージ]

例えば、三宅唱監督の『寝ても覚めても』について、主演女優の石橋静河の佇まいを絶賛したあと、文章はこう続くー。

「キャメラが後ろから歩道橋を上がっていく二人を追ってカーブしていき、だんだん海が見えてきて、やがて丘が現れるというあの場面はゾクッとします。あそこがことによれば一番力を入れた演出かもしれません。他の人たちから離れて、染谷君と石橋さんが遠くへ離れていく。それまでとは違う画調になり、とても魅力的です。」

何としてもここで語られている映画を見なければいけない。私は若かりし時、そのように思い、蓮實重彦が「見るべし」と語る映画監督、ジョン・フォードをジャン・リュック・ゴダールを、クリント・イーストウッドを、溝口健二を、小津安二郎をむさぼるように見たものだ。

本書、「見るレッスン 映画史特別講義」を読みながら久しぶりにそこで語られる映画タイトルと監督名をメモし、AmazonPrimeやNetflixを駆使し、また、しばらく行っていなかった街のレンタルDVD店をはしごし、デビット・ロウリー監督の特集上映があると知れば県外の映画館まで足を運んだ。

本書は、蓮實重彦の長年の読者にはお馴染みの明快で痛快なハスミ節であるとともに、この新書は是非、映画や芸術に興味のある若い読者にも薦めたい。
必ず、目から鱗が落ちるような知的体験が得られるはずだ。

よわい80代を過ぎても益々活発な言論活動を続ける蓮實重彦氏。待望のジョン・フォード論も間もなく完成するようで心待ちにしたい。

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