住む憧れ「グランドメゾン」の人気の理由。
福岡を拠点に内外で活躍されている建築家・松岡恭子さんの活動は多岐に及びます。総合不動産会社の代表であり、都市空間や公共建築の制度比較などを手がける研究者であり、福岡の優れた建築を紹介するナビゲーターであり、九州の伝統文化を広く紹介するモデレーターでもあります。そんな松岡恭子さんの好奇心の源泉を垣間見る連続コラムシリーズがスタートします。第一回目は、佐賀県唐津市への小さな旅です。
コミュニティが存在していそうな場所を求めて、唐津へ
唐津に行ってきたと言うと、「あゝ、よいところですよね・・・」と遠い眼差しになる人が多い。私もここ数年、しばしば訪れるようになったが、なんといっても福岡市内から地下鉄に乗れば、そのまま唐津駅まで一時間程度で到着する気楽さがありがたい。必ず左側の席に座るようにしているのは、反対側の窓を通して、窓ガラスに触れそうになる豊かな緑や、時折すっと視界が開けて現れる海景を楽しめるからだ。
コミュニティという言葉は決して新鮮でもないが、それが存在していそうな場所に最近惹かれるのは、国内外の大都市の暮らしを経験したあとで、いつの間にか年齢を重ねて、なにかそういった刺激とは別のものを人生に欲しているからかもしれない。それにこのところWeb上の利便性が進んでいるからこそ、そこではカバーできない喜びや楽しさの輪郭がはっきりしてきた気がするし、時間と場所の選択に自由度が増している中で「誰と」会うのか「どこで」「どんなふうに」過ごすのかの意味が大きくなっている気がする。唐津はまさにその気持ちに応えてくれる町だと思う。
着いたらまず立ち寄るのがGallery一番館で、オーナーの坂本直樹さんにご挨拶。
かつてはアーケードが架かっていたが撤去された「五福の縁結び通り」は、その経緯から今も歩行者専用道のままで、だからこそそのポテンシャルを活用しようと坂本さんはお店の向かい側に唐津焼の猪口で地元の酒を飲めるちょこバルをオープンしたり、通りにだれでも座れるテーブルとベンチを設置したりなさっている。ちょこバルは週末だけオープン、それを目掛けて老若男女が市内外からやってきて昼間から「良い加減」になっているので、知らぬ方々のお喋りの輪に同席させてもらう。のんびり話しているうちに共通の知人がいることがわかったりして、唐津とちょっぴり関係が深まった気がする。
ヨーロッパの田舎の町角のバルで、通り側にテーブルと椅子をすえ、おじさまたちがワインを片手にたぶん毎日同じ面子で終日佇んでいる姿を見るが、それに近い空気だ。「あそこに行けば誰かに会える」「ちょっと立ち寄って挨拶だけしていこう」という感覚は本当は大都市でも求められている気がするし、ニューヨークのようなメガロポリスを舞台にした映画でも登場するけれど、そういう場は実際にはなかなか成立しにくくなっている気がする。
文化度の高い映画館『THEATER ENYA』
五福の縁結び通りの一角にできたKARAEという施設はいきいき唐津というまちづくり会社が運営していて、ホテルやシェアオフィス、飲食店があるだけでなく小規模で可愛らしくも文化度の高い映画館シアターENYAもあって、地元の人と来訪者のどちらにも大切な場所になっている。2023年3月この映画館の企画で「コペンハーゲンに山を」の上映後、私が理事長をしているNPO法人福岡建築ファウンデーションの仲間と共に建築家の視点から映画にコメントさせてもらって、これもコミュニティの仲間にちょっぴり入れてもらった気がして嬉しかった。こんな映画館、なかなかないと思う。
KARAEには吹き抜けのある中庭があって、それを囲うようにお店が並んでいる。ゴールデンウィークに毎年開催される唐津やきもん祭りは器と食事を楽しむいろいろな機会を提供してくれるが、その会場のひとつにもなっている。都市空間の再開発でつくられがちな「広場」というのは聞こえこそよいけれど、屋根がない場所は天候に左右されてしまうので意外に活用されていないケースも多い。それよりもこういう屋根のある全天候型の公共空間のほうが、雨の多い日本の場合は利用価値が高いと思う。
中里太郎右衛門窯を訪ねて
さて、唐津焼に興味がある方はきっと中里太郎右衛門窯を訪問されることだろう。駅から近い立地で立ち寄りやすく、陳列館とショップは以前からあるが、十四代中里太郎右衛門先生はご自分が生まれた木造家屋と蔵を改修して、2020年に御茶盌窯記念館をオープンされた。
両側に広がる庭を見渡せる明るい空間で、十二代、十三代の作品を中心に展示されている。十四代にお話しを伺うと、それぞれの代の個性が宿っていて、いわゆる食器に代表される唐津焼とは一線を画したとても自由でオリジナリティあふれる作品を通してそれぞれの人柄が伝わってくる。十四代太郎右衛門先生は穏やかな方で、やきもの初心者の私にもいつもやさしく唐津焼の魅力を解説してくださる。
私がとても心動かされるのは十四代が開発された「墨雲」という技法で、窯に入れる際に鞘をつくって壺を据え、その周りに木炭と籾殻を交互に重ねて詰めてから焼くことで、それがまさに墨となった雲のような痕跡を表面に残すのだそうだ。じっと見つめていると、本当に薄曇りの夕暮れの空をゆっくりと雲が移ろっていくような動きを感じることができる。
私は九州が誇る文化を福岡の都心の空間で楽しもうという社会実験One Kyushu ミュージアムを発案し、コロナ禍が始まった2020年から開始したのだが、太郎右衛門先生は毎年作品を展示くださって、また私がインタビュアーになってお話を伺う機会を寛大にも何度もくださった。その一環で映画監督の神保慶政さんにお願いして撮影してもらった作陶中の貴重な映像もぜひ見て頂きたいが、戦国時代の末期から積み上げられてきた歴史の重みを背に、楽しく自由であろうとする精神の営みを身近に拝見できるのはありがたい。これぞ「九州人」としての幸せであり、大きな意味でのコミュニティなのではないかと思う。
十四代中里太郎右衛門先生の長男、忠仁さんのデザインによる欄間は唐津の海に浮かぶ高島を模ったものだ。また展示作品だけでなく、陶片が埋め込まれた壁はご家族みなさんで施工したものとのこと。そういう手の跡を感じられるのも親しみが湧く。
旬の素材を新しい感覚で楽しませてくれる『たまとり』
唐津は美味しいお寿司やさんもいろいろあって食いしん坊にはたまらない町だが、最近新しいお店も増えている。「旬の膳 弥生」は東京の神楽坂から越してきたご夫婦のお店で、素晴らしい出汁を楽しめるお店だ。最近よく訪ねているのは「たまとり」で、福岡市の大名にある人気店「台所ようは」のオーナー大塚瞳さんが2022年に唐津に開いたお店で、旬の素材を新しい感覚で楽しませてくれる。弥生もたまとりもカウンター越しにおしゃべりしながらゆっくり食事ができるので、唐津の仲間入りをした気がして再訪したくなる。
辰野金吾設計 『旧唐津銀行』と『旧高取邸』
最後に、建築家としては唐津の建物のこともお伝えしておきたい。駅から近いシンボル的存在は旧唐津銀行で、日本の近代建築をけん引し東京駅も設計した辰野金吾が依頼され、弟子の田中実が担当した。辰野は唐津出身なのできっと相当に気合が入っていたに違いない。設計を依頼したのは唐津銀行の創立者である大島小太郎だが、彼の自宅は小学校の建設に際し存亡の危機に面したものの、さすが唐津市、壊したりせずにきちんと解体して移築、現在は旧大島邸として公開されている。移築に際して私も当時少額の寄付をしたので、瓦の一枚の裏側に名前が記載されているはずなのである。もうひとつ、旧高取邸もぜひ足を向けていただきたい。邸宅内に能舞台があり、絵師たちに描かせた杉戸絵も見て回るのも楽しく、別棟にワインセラーがあるのも炭鉱主の財力が偲ばれる。
何度も訪れたいと思う場所には、気持ちの良い景色やそこでしか手に入らない物品、美味しい食事はもちろんだが、人とのつながりも欠かせない。唐津は朝から行って散歩して唐津城にのぼったりして夕食を食べて帰ってくる、みたいな旅でも十分楽しめる広さではあるけれど、魅力的な場は人がつくっているので、ぜひ人を訪ねていただきたい。このエッセイを読んだ、とでも一言伝えれば、たぶん暖かく迎えてもらえると思う。
INFORMATION
株式会社 スピングラス・アーキテクツ
NPO法人福岡建築ファウンデーション
ONE KYUSHU ミュージアム
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