カズオ・イシグロの新作「忘れられた巨人」を読む。[spotlight page 1]

記憶、復讐、戦争、そして愛を描く、世界的人気作家の現代への巨大な問い。

no13_select04_01

「少年たちは、やがて戦士となり、今日倒れた父親の復讐に命を燃やしていたはず。少女らは未来の戦士を身籠ったはず。殺戮の循環は途切れることがなく、復讐への欲望は途絶えることがありません。」[忘れられた巨人 第三部・ガウェインの追憶-その一 より]

現在、日常的に文学を愉しむ習慣を持っている人がどれだけいるのかわからないが、せまい文学の世界でも新作を発表すれば大きなニュースとなる作家がまだ世界には少なからずいる。
ざっと思い浮かべる限りでは、フランスのミシェル・ウェルベック、(シャリルー・エブド衝撃事件の当日に発表された最新作(服従)は、2022年のフランス大統領選挙でムスリム同砲団(架空)が政権をとり、フランスがイスラムに服従するという、あながち空想ともいえないようなタイムリーかつ、この作家特有の冷たいシニシズムに満ちた衝撃の作品で日本語訳の発刊が待望される)、ロシアのウラジーミル・ソローキン(現代ロシア文学を代表するポストモダン小説の旗手)、中国の余華(中国の近代史を描いた傑作、「兄弟」がベストセラーとなった人気作家)、もちろん日本の村上春樹(日本人が理解している以上に多くの国で圧倒的な支持を持つ世界的な作家)、そして、最新作を発表したばかりのイギリスのカズオ・イシグロなどがぱっと頭に浮かぶ。
世間のトピックが、文学や小説で持ち切りになるような時代(例えば明治時代に新聞に連載された夏目漱石の小説を、国民みんなが読んでいたというような現象)はとうの昔に終わり、文学ならずとも、音楽や美術などでさえ鑑賞しなくなった現代人は、いったい日々何をしているのだろう?と思ってしまうのだが、そんなことを言えば取って返す刀で、「人々は、スマートフォンの画面に釘付けになり、ネットを通して世界と繋がりつつナイーブな自己確認にいそしんでいるのだ」と、これもまたたいして面白くもない答えが帰ってくることは予想される。いずれにしても現代人は、ビジネスでも家庭でも明治時代の人々よりは、数百倍も忙しく過ごしているというわけだ。

そんな、今やマニアックな一ジャンルとなった文学だが、新作発表のニュース力のある希少な作家の1人で、前作「わたしを離さないで」から10年振りのカズオ・イシグロの新作「忘れられた巨人」が発表された。
作者にとっては、はじめてのファンタジー小説という謳い文句となっている。
物語は、中世イングランドの森と岩が広がる広大な「世界」を舞台に、主人公の老夫婦が離れて暮らす息子を訪ね冒険の旅に出るというもの。 あたりに立ちこめ人々の記憶を失わせるという深い霧、行く手を阻む鬼、アーサー王伝説の戦士、ドラゴンなどが登場し、争い、裏切り、復習を繰り返す人間のおこないが語られ、戦いの記憶や老夫婦の愛をめぐって現実とも幻想とも区別がつかない奇妙な世界が描かれる。

もちろん作家が、現代の世界を覆い尽くす解決しがたい諸問題を念頭に置きこの物語を書いていることは歴然としている。
読み進めながら日本人である私たちは当然、最近の何ともうさんくさい戦争の気配に想像をめぐらすだろうし、ヨーロッパの読者なら、私たち日本人よりは切実にテロの恐怖や中東で繰り返される愚行の実態を思い浮かべるかもしれない。文学からの問題提起と解決の小さな糸口の提示?
どちらにしてもこの時代において、文学や芸術が持つ力とはなんとも非力だ。かつて誰もが漱石やドフトエスキーを読み、それらを語ることがコミュニケーションのひとつだった時代から現代はなんと遠く離れたことだろう。

ページをめくり、文字のつらなりの彼方に風景を組み立てる。「そんなことに時間を使ってなんの得になるの?」という合理主義者たちの圧倒的な「正しい」声を聞きながら、それでも静かにページをめくり世界のありかたを想像する。そんなマイナーな行為が今、必要だろうか?
深い霧のような抜け道のない自問自答を繰り返しながら、「なんの得にもならないようなことだけが本当は、凄いんだよ」とつぶやいてみたくなる。そんな読後感を持つ作品だ。
『忘れられた巨人』
カズオ・イシグロ/土屋政雄 訳
早川書房
2015年5月1日刊行
2.052円(税込)
カズオ・イシグロ プロフィール
1954年11月8日長崎生まれ。1960年、五歳の時、海洋学者の父親の仕事の関係でイギリスに渡り、以降、日本とイギリスの ふたつの文化を背景に育つ。その後、英国籍を取得した。ケント大学で英文学を、イースト・アングリア大学大学院で創作を学ぶ。
一時はミュージシャンを目指していたが、やがてソーシャルワーカーとして働きながら執筆活動を開始。
1982年の長篇デビュー作『遠い山なみの光』で王立文学協会賞、1986年発表の『浮世の画家』でウィットブレッド賞を受賞。
1989年発表の第三長編『日の名残り』でイギリス文学の最高峰ブッカー賞に輝いている。その後『充たされざる者』(1995)、 『わたしたちが孤児だったころ』(2000)、『わたしを離さないで』(2015)、短編集『夜想曲集』(2009)(以上、すべてハヤカワepi文庫)を発表。
2015年に発表した本作は、第七長編にあたる。これまでとは異なる時代設定で話題を呼び、ニューヨーク・タイムズ・ベストセラーに発売直後からランクインしたほか、英《ガーディアン》紙や《タイムズ》紙で絶賛された。

この号のmutoをご覧になりたい方はこちらから

Feature Articles Back Numbers

Instagram

recommend

mutoが切り取った街の情報をボーダレスにピックアップ。身の回りで起こっているコト、注目のモノなどをここでチェック。

12年目を迎えたダンスカンパニー「プロジェクト大山」の新作公演
全面リニューアルのレストランフロアがグランドオープン
国内マセラティショールーム初の3階建て、西日本最大級「マセラティ福岡」誕生